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2012年04月17日

弘前城、弘前公園情報

弘前城、弘前公園情報 桜を愛でる北東北の旅・・・青森、岩手、秋田
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青森県弘前市(あおもりけんひろさきし)
弘前市(ひろさきし)は青森県西部の都市。弘前藩の城下町として発達し、現在も津軽地方の中心都市として、周辺自治体に広がる人口約33万人の弘前都市圏を形成しています。

津軽が歴史上最初に登場するのは『日本書紀』。
鎌倉・室町時代には安藤氏の支配により、海運などで栄えたと伝えられる。
今から約400年前、現在の弘前市で津軽家初代藩主・為信(ためのぶ)が津軽を統一。明治維新後も弘前は、津軽における政治、経済、文化の中心として発展してきました。
平成18年には弘前市、岩木町、相馬村の3市町村が合併。
市の花は『さくら』、市の木は『りんご』。
弘前は大自然が広がる白神山地(白神山地)や岩木山にいだかれ、弘前城をはじめとした歴史的建造物や街並み、明治・大正時代に建てられた洋館、四季折々のまつりなど見どころがいっぱいです。


弘前観光コンベンション協会
青森県弘前市大字下白銀町2-1 弘前市立観光館内
TEL 0172-35-3131


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弘前さくらまつり
津軽のりんごの栽培技術を用いた花の低さ、花の多さが特徴。

sakura.gif 私たち人間の目線の高さで楽しめる桜の花

sakura.gif ひとつの房に7個の花をつけるソメイヨシノ

お花見の桜として全国で親しまれているソメイヨシノの寿命は約60年。しかし、弘前公園には樹齢100年以上のソメイヨシノの古木が300本以上!樹齢100年を超えた木でも1つの花芽から咲く花の数が4個から5個と多く、徹底した管理から弘前公園の桜は生まれています。



2012年弘前さくらまつり (公式ホームページ)

【会期】 平成24年4月23日(月)〜5月7 日(月)
【会場】 弘前公園(国指定史跡「弘前城跡」)
案内図 弘前公園案内図を見る(PDF)

【有料区域 および 有料時間】 
※本丸・北の郭 午前7 時〜午後9時
※植物園 午前9 時〜午後6時(入園券の販売は、17:30まで)

【入園料】
本丸・北の郭 大人300 円 小人100 円
植物園 大人300 円 小人100 円
共通券 大人500 円 小人160 円
入園料について詳しくはコチラをご覧下さい。(PDF)

【所要時間】 一周約2時間

【観光・宿泊 のお問合せ】
弘前市立観光館 TEL 0172-37-5501
弘前市観光案内所 TEL 0172-26-3600


弘前公園 過去5年間の開花日&満開日
年度 開花日 満開日
平成23年 4月26日 5月2〜6日
平成22年 4月27日 5月3〜5日
平成21年 4月17日 4月22〜27日
平成20年 4月16日 4月21〜24日
平成19年 4月24日 4月30〜5月3日


弘前城、弘前公園
弘前の定番スポット

春は弘前さくらまつり、秋は弘前城菊まつり、冬は弘前城雪燈籠まつりが行われ、訪れた人々を歴史と幻想の世界に連れて行ってくれます。


弘前城
現在の天守は200年前に建てられたもの!
津軽統一を果たした津軽為信(ためのぶ)が築城計画し、2代目藩主・信牧(のぶひら)が1611(慶長16)年完成させた津軽氏の居城。1811(文化8)年に再建され、東北地方唯一の現存する天守です。

弘前城散策 約1時間
追手門
弘前市役所と市立観光館の向かえ側になる門。
碇ヶ関街道に通じる城の正門で、水堀に面した門前には、土塁を巡らせた枡形(出撃・守備のための方形の空間)が設けられています。

ya10.gif 歩いて3分

3つの櫓
江戸時代、城郭の隅に建てられ未申櫓、辰巳櫓、丑寅櫓。

ya10.gif 歩いて3分

杉の大橋
三の丸と南内門にある二の丸南側を結ぶように架かる杉の大橋。

ya10.gif 歩いて5分

下乗橋(げじょうばし)
本丸と二の丸を結ぶ朱色の木橋。かつてはこの橋を馬や籠で渡れるのは藩主や許可を得た者のみと定められいた。二の丸側に下馬札が立てられていた。

ya10.gif 歩いて5分

本丸
藩政時代、御殿や能舞台もあった本丸。さくらまつりの頃は酒宴場所として賑わいます。

ya10.gif 歩いて10分

武徳殿(ぶとくでん)
北の郭にある休憩所と販売所。弘前の特産品をはじめ、りんごや桜のお菓子が揃っています。年代別さくらまつりのポスターもあります。

ya10.gif 歩いて10分

日本最古のソメイヨシノ
1882(明治15)年、荒れた城内を見かねた旧藩士・菊池楯衛が植えた桜で樹齢130年になります。

ya10.gif 歩いて5分

弘前城植物園
三の丸を整備した植物園。三の丸庭園は大石武学流の庭園で23のゾーンには1500種類12万4000本の樹木や草花が植えられています。

ya10.gif 歩いて5分

東門
三の丸東の櫓門。弘前城の現存する虎口(出入口)には土塁によって築かれた枡形や、櫓門の門扉脇に設けられた通行人をチェックするための出窓など、共通する特徴がみられる。


弘前城(ひろさきじょう)の歴史
1610(慶長15)年、陸奥国津軽地方(青森県西部)を治める津軽信牧(つがるのぶひら)によって、津軽平野南部の丘陸に築かれた平城。
弘前の旧名が高(鷹)岡であったことから、当初は高岡城(たかおかじょう)と呼びれていた。本丸を中心とするすべの曲輪(くるわ、区画)を取り囲むように、直線的な水堀を巡らせるなど、近世初期における最新の築城法を取り入れた堅城で、大浦城、堀越城(ともに青森県弘前市)に次ぐ津軽家の新拠点であった。この城の建設は、当初は信牧の父で、津軽支配を確立した為信(ためのぶ)によって計画が開始されたが、1607(慶長12)年に為信が死去したため、築城計画は家督を継いだ信牧によって進められ、幕府からの正式な許可を与えられた後の1610(慶長15)年に本格的に着工。大浦城などから建造物を転用したことから、わずか1年の築城期間で城郭中心部が完成し、以後は明治維新まで津軽家の居城となった。現在は江戸時代後期に建設された店守をはじめ、3つの櫓、5つの門などの建造物が現存し、国の重要文化財に指定されている。


岩木川と土淵川に挟まれた、穏やかな丘陸地に築かれた弘前城は、中央に置かれた本丸を囲むように二の丸、三の丸、四の丸、北の曲輪、西の曲輪などを配した梯郭式の縄張である。城内唯一の総石垣づくりであった本丸には天守や御殿が置かれ、南北2ヶ所にある入口のうち、南の門前には角馬出(かくうまだし)と呼ばれる方形の区画が設けられていた。そのほかの曲輪は土塁によって守れており、それぞれの間を隔てるように水堀が巡らされていた。


弘前城の歴史
1603年 津軽為信(つがるためのぶ)が新城建設を計画し、幕府に築城の許可を申請
1607年 為信が死去
1609年 幕府が築城を許可
1610年 為信の三男・信牧(のぶひら)が本格的に築城工事を開始
1611年 城郭中心部が完成し、信牧が入城
1627年 落雷によって内部に貯蔵されていた火薬に火がつき、天守が焼失
1628年 本丸と御殿の改修を実施。地名をほ高岡から弘前に改称
1694年 本丸石垣の修築工事を実施
1715年 城内に桜や松を植樹
1766年 地震で複数の櫓や門が破損
1810年 本丸東南隅にあった辰巳櫓を天守に改修
1871年 廃藩置県により廃城
1952年 城跡が国史跡に指定される


津軽家
大浦
秀栄



光信
盛信
政信
武田
紀伊守の女




守信 為則


為信 −養子→ 為信
信牧
津軽家は、為信(ためのぶ)が大浦から改姓したことに始まり、南部家の流れをくむ大浦家は、陸奥国津軽郡大浦郷(青森県弘前市)が発祥地とされている。
秀栄の代から大浦姓を名乗り、為則(ためのり)の代に為信を婿養子として家督を継がせた。いっぽう、為信が血を受けた武田家は、代々南部家に仕え、紀伊守の代に大浦家から守信(もりのぶ)を養子に迎えている。守信の嫡男である為信は、父の実家である大浦家を継いだ後、津軽姓を名乗り、その死後は、早世したふたりの兄に代わって三男の信牧(のぶひら)が家督を相続。正室であった石田三成の娘・辰子を側室とし、徳川家康の養女・満天姫と婚姻して徳川家とのつながりを強めた信牧の子孫が、弘前藩を治める大名として津軽家の系譜を存続させた。


弘前城、弘前公園アクセス
【航空】
※羽田空港〜青森空港(1時間10分)→弘前(バス60分)
※伊丹空港〜青森空港(1時間30分)→弘前(バス60分)
※千歳空港〜青森空港(45分)→弘前(バス60分)


【鉄道】
※東京〜新青森(東北新幹線3時間10分)→弘前(特急・普通27〜39分)
※青森〜弘前(JR奥羽本線、特急・快速29〜37分)
※秋田〜弘前(JR奥羽本線2時間)


【東北自動車道】
※大鰐弘前I.C〜弘前(20分)
※黒石I.C〜弘前(20分)
※仙台〜弘前(キャッスル号4時間20分)
※盛岡〜弘前(ヨーデル号2時間15分)




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posted by 夢子 at 14:46| 弘前城、弘前公園情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする