
飯盛山から會津藩校 日新館へはタクシーで。
午前中で道も混んでいなかったのでスムーズに行きました。料金は2,480円です。
なぜ、この日新館は街から離れたところに作ったんだろう? 大きいから面積の関係なのかな。

1798年(寛政10年)、会津藩家老・田中玄宰の進言により計画される。
享和3(1803)年、第5代会津藩主・松平容頌の時代に創立。
家老・田中玄宰の『教育は百年の計にして会津藩の興隆は人材の養成にあり』との進言によって計画され、5年の歳月をかけて鶴ヶ城の西側に完成しました。
東西約120間、南北およそ60間の敷地に水練場や天文台までをも備えた、全国有数の藩校となりました。
戊辰戦争で焼失してしまい、ここに復元されました。



昭和62年に復元されたので、まだどれも新しくきれいです。
印象に残ったのは自刃の仕方も教えたということですね。飯盛山のあと、ここに訪れたので複雑でした。時代といえば時代でしょうが、学びの場で自刃のやり方を教えるなんて!



水練、今でいうプールです。
ここで鎧兜をつけたまま泳ぐ練習をしたそうです。鎧兜つけて泳ぐってすごっ! ちゃんと浮くのかな?

桜

会津の桜を見ることができてラッキー(^○^)



日新館に行ってよかった。郡長政という人物のことを知ることができた。
郡長政は会津家老・萱野権兵衛の次男。
萱野権兵衛は戊辰戦争の敗戦処理の際、城の明渡し、藩主父子の助命嘆願などに力を尽くし、自ら進んでその責任をとり自刃しました。
萱野権兵衛のことは知っていましたが、息子のことは知らず(^^;;
父の萱野権兵衛が会津戦争の全責任を負って自刃した為に家名断絶となり、長男は萱野家を家督相続するが次男以下は郡へ改姓した。
長政は文武両道に秀で、明治3年小笠原藩の育徳館に留学したが翌年5月1日に自刃。
長政は食事がひもじく、故郷の母に手紙でひもじいことを訴え、会津の干し柿が食べたいと手紙を送るが、母の返事は厳しいものでした。その戒めの手紙を落として、小笠原藩士の子弟に大衆の面前で罵られ・・・。長政は会津武士の面目を保つため切腹して屈辱にこたえた。
これが自刃の理由です。なんか辛すぎる。。。 こんな時代はいやだ。
會津藩校 日新館
福島県会津若松市河東町南高野字高塚山10
TEL 0242-75-2525
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