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2012年04月19日

世界遺産・平泉情報

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世界遺産・平泉(ひらいずみ)情報
平泉(ひらいずみ)は、岩手県南西部にある古くからの地名であり、現在の平泉町の中心部にあたる。

今から900年余り前の平安時代、奥州藤原氏によって平和への願いのもとに築かれた平泉。遥かなる時を越えて東北初の世界遺産となった。


平泉観光協会
岩手県西磐井郡平泉町平泉字泉屋61-7
TEL 0191-46-2110 


観光ガイド(中尊寺内) 有料
平泉町平泉坂下9
TEL 019146-4203

古都ひらいずみガイドの会 有料
岩手県平泉町平泉字花立208
TEL 019146-5710



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平泉観光モデルコース
★歩いて廻る日帰りコース★
平泉駅 ⇒ 柳之御所遺跡 ⇒無量光院跡 ⇒高館義経堂 ⇒卯の花清水 ⇒平泉文化史館 ⇒中尊寺 ⇒平泉文化遺産センター ⇒毛越寺 ⇒平泉駅


★歩いて廻る半日コース(中尊寺コース)★
平泉駅 ⇒ 柳之御所遺跡 ⇒無量光院跡 ⇒高館義経堂 ⇒中尊寺 ⇒平泉駅


★歩いて廻る半日コース(毛越寺コース)★
平泉駅 ⇒ 毛越寺 ⇒観自在王院跡 ⇒ 金鶏山 ⇒ 平泉文化遺産センター ⇒毛越寺 ⇒平泉駅


★レンタルサイクルコース★
平泉駅 ⇒ 中尊寺 ⇒毛越寺 ⇒鬘石(かつらいし) ⇒姫待の滝 ⇒達谷窟毘沙門堂 ⇒平泉駅




中尊寺(ちゅうそんじ)
初代・清衡(きよひら)により12世紀はじめから四半世紀をかけ造営されました。多くの堂塔は焼失しましたが、国宝建造物第一号である金色堂(こんじきどう)をはじめ、建築や絵画など各分野にわたる3,000以上の国宝や重要文化財が現存。境内全域が特別史跡に指定されています。

岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
TEL 0191-46-2211 
※JR平泉駅→中尊寺月見坂入口まで 1.6km(徒歩25分)
※拝観所要時間 約2時間


毛越寺(もうつうじ)
二代・基衡(もとひら)が12世紀中頃から造営に着手、三代・家衡(いえひら)の時代に完成しました。すべての建物は焼失しましたが、浄土庭園と南大門跡などの伽藍遺構がほぼ完全に保存されています。正月20日には常行堂(じょうぎょうどう)で修法が行われるほか、法楽として『延年の舞』が奉納されています。

岩手県平泉町字大沢58
TEL 0191-46-2331


観自在王院跡(かんじざいおういんあと)
二代・基衡の妻が建立したと伝えられる寺院跡。ほぼ完全に残っている浄土庭園の遺構は平安時代に書かれた日本最古の庭園書『作庭記(さくていき)』の作法どおりと考えられています。池の北岸に大阿弥陀堂と小阿弥陀堂が設けられていたことから、極楽浄土を表現した庭園と考えられています。

岩手県西磐井郡平泉町平泉字志羅山地内


無量光院跡(むりょうこういんあと)
三代・秀衡が、宇治平等院の鳳凰堂を模して建立した寺院跡。調査の結果、阿弥陀堂の柱間や翼廊の左右が鳳凰堂より大きいことがわかり、平等院を超えようという意欲が感じられます。建物の中心線は西の金鶏山と結ばれており、その稜線上に沈む夕日に極楽浄土をイメージした、浄土庭園の最高傑作といわれています。

岩手県西磐井郡平泉町平泉字花立地内


金鶏山(きんけいさん)
中尊寺と毛越寺のほぼ中間に位置する円すい状の山。頂上には経塚があり、『平泉を守るため黄金の鶏を埋めた』や『北上川まで人夫を並べ、一晩で築いた山』などの伝説が残っています。松尾芭蕉は、『おくの細道』の中で、『秀衡が跡は田野となりて、金鶏山のみ形をのこす』と記しています。

岩手県西磐井郡平泉町平泉字花立地内


柳之御所遺跡(やなぎのごしょいせき)
古くから藤原清衡・基衡の屋敷跡と伝えられていた場所で、発掘調査によりずば抜けた質と量の遺構、遺物が発見されたことから『吾妻鏡』に見える平泉館(政庁)に該当する可能性が高いとされています。平成22年4月から史跡公園として公開されています。


白鳥舘遺跡(とろとりたていせき)
北上川に囲まれる天然の要害で、平安中期の豪族・安倍頼時(あべのよりとき)の八男・白鳥八郎則任(のりとう)の居城跡と伝承。本丸、二の丸、三の丸跡がほぼ原形に近い形で見られます。


長者ヶ原廃寺跡(ちょうじゃがはらはいじあと)
中尊寺北側に位置し、発掘調査で寺院風の壮大な建物跡が確認されてました。藤原氏より前、安倍氏時代の重要な寺院跡と考えられています。


達谷窟(たっこくのいわや)
平安時代の初めに、この地の主領・悪路王(あくろおう)らが立てこもったと伝わる岩窟で、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の戦勝記念と仏の加護への感謝を込めて造営したと伝えられています。


骨寺村荘園遺跡(ほねでらむらしょうえんいせき)
中尊寺所蔵の重要文化財『陸奥国骨寺村絵図(むつのくにほねでらむらえず)』にほぼ近い形で景観が残る遺跡で、中尊寺の僧・自在房蓮光(じざいぼうれんこう)が『紺守金銀字交書一切経(こんしきんぎんじこうしょいっさいきょう)』の完成に伴い、清衡から与えられたものです。


前九年の役、後三年の役

清原武則 攻撃 安倍頼時 攻撃 源頼義
武貞 藤原経清 貞任
真衡 家衡 清衡 介入 源義家
基衡
(3代略)
秀衡
泰衡 ←攻撃 ← 源頼朝
前九年合戦
後三年合戦


前九年の役(ぜんくねんのえき)
平安時代後期の奥州(東北地方)を舞台とした戦役。このころ、奥州では安倍氏が勢力を伸ばしていたが、朝廷に対する不満から反乱を起こす。

1051年、安倍頼時(あべのよりとき)が陸奥守・藤原登任(ふじわらのなりとう)と鬼切部で対立し戦闘が始まる。秋田城の官軍も応援に駆け付けたが鎮圧できなかった。

安倍頼時の死後の1057年、源頼義(みなもとのよりよし)は黄海で決戦を挑むが、頼時の跡を継いだ貞任(さだとう)らに大敗してしまう。

出羽の豪族・清原氏の参戦で形成は逆転し、1062年安倍氏の拠点である厨川柵(くりやがわのさく)が陥落。安倍貞任は戦死し、藤原経清(つねきよ)は処刑された。


後三年の役(ごさんねんのえき)
前九年の役の後、東北で力をつけた清原氏一族の間で勢力争いが起き、大きな反乱となった。 源義家が鎮圧する。

清原真衡(きよはらのさねひら)の死後、家衡(いえひら)が清衡(きよひら)を攻撃。清衡は源義家(みなもとのよしいえ)の強力を得て反撃したが、沼柵に籠った家衡がこれを退けた。

1087年、金沢柵に入った家衡軍と義家・清衡軍は再び戦闘を開始。戦況は一進一退だったがら、兵糧攻めによって家衡軍は敗走した。



後三年の役を平定し、源氏の武力を天下に示して見せた源義家だが、朝廷はこの戦いを義家の私戦とし恩賞はもとより戦費の支払いも拒否し、陸奥守も解任。
義家とともに勝利した清原清衡は、父方の姓である藤原を名乗り勢力を拡大し、奥州に三代100年にわたる繁栄を築く。



奥州三代100年
藤原清衡(ふじわらのきよひら)が祖で基衡(もとひら)、秀衡(ひでひら)と三代に渡り、奥州藤原氏が約100年、奥州を支配した。奥州産の金の経済力を背景に、奥州白河関から津軽外ヶ浜まで勢力を伸ばした。やがて武士政権の到来で鎌倉幕府にのみこまれてしまう。


平泉文化
奥州藤原三代が築いた文化。
平泉は東に北上川、北に衣川、南に太田川と三方を大小の川に囲まれ、西に小高い山々を頂き、中央を南から北へ東北の幹線である『奥の大道』が通り抜けた要衝の地でした。
初代・清衡が江刺郡(岩手県奥州市江刺区)の豊田館から平泉に居を移したのは、1100年頃といわれ、奥州に仏教文化を中心とした平泉文化・平和な理想郷の建設がはじまりました。


藤原三代の事跡
平泉に移り住んだ清衡は、敵味方の区別なくすべての霊をなぐさめ、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を実現するため、1105年に中尊寺の建立に着手。1124年に金色堂、1126年には主要な堂塔が完成。
二代目・基衡は毛越寺建立、三代目・家衡は宇治の平等院鳳凰堂にならって無量光院を建立。


平泉アクセス
【鉄道】
※東京 〜 一ノ関 (東北新幹線、約2時間10分)
※仙台 〜 一ノ関 (東北新幹線、約32分)
※新花巻 〜 一ノ関 (東北新幹線、約30分)
※八戸 〜 一ノ関 (東北新幹線、約1時間25分)


平泉駅までの所要時間(一ノ関駅⇒平泉)
※電車 一ノ関駅 ⇔ 平泉駅 8分
※バス 一ノ関駅 ⇔ 平泉駅 20分
※タクシー 一ノ関駅 ⇔ 平泉駅 15分


東北自動車道(平泉前沢I.Cまで)
※浦 和I.C 〜 平泉前沢I.C 約5時間(444.5km)
※仙台宮城I.C 〜 平泉前沢I.C 約1時間10分(99.4km)
※盛岡I.C 〜 平泉前沢I.C 約50分(80.3km)
※一関I.C 〜 平泉前沢I.C 約9分(11.5km)
※秋田中央I.C 〜 平泉前沢I.C 約1時間40分(143.7km)




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posted by 夢子 at 09:16| 平泉情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする