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腹ごしらえをして、いよいよ今回の旅のメイン・会津若松城(鶴ヶ城)へ。
会津若松城についてはこちらをご覧ください。
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会津若松城(鶴ヶ城)
GWなので、午後3時過ぎでもすごい人です。
ここは北出丸の東側にある大手門跡。加藤明成の改築により正面となった門です。
ここを突破しようとすると、北出丸に加え、堀を挟んだ伏兵曲輪と本丸北側の櫓の三方から射撃が可能で、
戊辰戦争においても官軍の侵入を許さなかったところです。



武者走り
これは石垣の上の櫓にすばやく行けるように作られた階段。

私が真剣に石垣を見ていたので、地元の人が、『ハート形の石』探していると思ったみたいで、『ここにハートの石があるよ』と教えてくれた。
私、そんなこと全然知らなかったけど、親切な地元の方のおかげで、ハート形の石に出会えました(^○^) ありがとうございます。
ここにもう一個あるらしい。地元の人が探してくれたけど発見できず。

御三階跡
現在、御三階は阿弥陀寺に移築されています。
前日に御三階を見ていたので、当時の風景が目に浮かんだ〜


月見櫓跡
防備のための櫓。ここから眺める月が美しかったことから、月見櫓と名づけられた。


廊下橋
前日乗ったタクシーの運転手さんがここから入るのがおすすめと教えてくれましたが、腹ごしらえをしていたから、遠くから見るだけに。
この廊下橋は蒲生時代には屋根付きの橋だったので、廊下橋と呼ばれています。蒲生時代は橋を渡ると正面口でした。
加藤明成の改築の際、非常時に橋を落として通行を遮断するために、簡易なものに架け替えられました。
手前の石垣は約20mもの高さがあり、城内一の高さです。これも加藤明成のときに築かれたものです。扇勾配をなし『忍者落し』ともいわれています。



天守から眺め。白虎隊自刃の地も見えました。
ここでも紅白のポールを目印にしました。⇒
白虎隊自刃の地・飯盛山
鐘撞堂
時報の鐘が置かれた建物。戊辰戦争の際にも開城まで時を知らせ続けました。
ここに政府軍の砲火が集中し、時守が相次いで倒れたにも関わらず、最後の最後まで正確な時を報じたそうです。
鶴ヶ城は蒲生時代、加藤時代の石垣がありますが、人が多くてじっくり見れなかった。
いや、見たけど、まだまだ私の勉強不足でわからないことも多々あり、石垣奥が深すぎる〜
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写真でみる会津若松城(鶴ヶ城)会津若松城(鶴ヶ城)福島県会津若松市追手町1-1